
古屋の造作は一通り終えた。強いて言えば北側に差し掛けを作ろうと思うが、とりあえずは生活には影響がないので一息入れてからでもいいかと思う。家の中も特に困ることはない程度にはなってきた。ただ狭い玄関を入って小上がりを上がってすぐのところに多分本来はふすまの様な引き戸があったのだろう、夏の間は不便に感じなかったけど寒くなるにつれてそこに扉が欲しいと思うようになった。
車で30分ほどのところにある弟の家には解体等で出た古い扉や窓の建具のストックがある。丁度いいのがないか物色しに行ったが流石にドンピシャのものはない。それでも何とかなりそうな一枚を持ち帰った。
その建具の下の方を少し詰めて新しい戸車を入れた。横の幅は足りないから適当な板を敷居と鴨居の間に入れて一応戸の体は成した。問題は上下二段に分かれて入っていた上の方の縦が半間横60センチほどのガラスがないことである。
ガラスを切って入れてしまえば済むことだけど・・・。茨城から来るときになぜか使い古しの黒板塗料を車に積んだのを思い出した。ベニヤ板をガラスの代わりに入れてその塗料を塗った。下にくもりガラス、上は緑色の黒板の奇妙な戸は案外この家に馴染んだ。
さてと、この黒板に何か書こう。白いチョークを握るが何を書けばいいか?畳もない作業小屋の様な室内には漢字というよりは横文字の方がいいだろう。はて、と思って久しぶりにフランス語でも思って頭に浮かんだのがアルチュール・ランボー。
若い頃に見たウィスキーの宣伝。そのシュールな映像と共に語られたのがランボーという名前。その後フランスに学ぶ私だがランボーとの接点はない。ところがこの緑色の黒板を見ていたら名前が浮かんできたものだから。「ランボー 詩人 代表作」と検索してみて出てきたのが「永遠」という詩。その冒頭が「また見つかった 何が 永遠が 海と溶け合う太陽が・・・」とあるではないか。まさにここに越してきて何度も目にした光景。そして続く言葉が今の私の心境と妙に一致していて少し驚いた。
早速書いてみた。短い詩だが全文は書けなかった。全てを解釈しきれたわけではないけれど、簡単に言えば「周りに流されずにボチボチやれよ」ということだと思った。
しばらくしてちょっとスカしすぎだなあと思ってそれを消した。教室の黒板のように地の板がツルツルではないから白いチョークが完全には消えないで薄い雲のように残った。「また見つかった 何が 永遠が 黒板と溶け合うチョークが・・・」
家の扉を開けて四十歩ほどのところにある海を見下ろすと小さなスズメダイが群れている。急に青いスズメダイのモビールを作って部屋に吊るしたら・・・と思いついたものの、細かい作業に手と目が追いついていかないような気がした。だから黒板にその図を描いた。
常々、詩のように絵を描けたらいいと思っていたけれど、例えば今では詩も絵も表現行為なんて言葉で括られるけど、その実はだいぶ違っている気がする。チョークで描いた稚拙な魚がぶら下がったトーナメント戦のような図はどこか思わせぶりで結構いいと思った。
